「……あんな腹黒男、好きになるわけないでしょ」
「蘭って、素直じゃないね」
「はぁ?何よ、點讀筆香港 ニヤニヤして。気持ち悪い!」
私の中では、もう確信していた。
蘭は久我さんのことが好きだ。
そして、それはきっと彼も同じだ。
蘭から久我さんと付き合い始めたと報告を受ける日は、そう遠くないかもしれない。
「マスター、ビールおかわり!」
「蘭ちゃん、もうやめときなって」
「大丈夫、私お酒強いから。ビールなら何杯飲んでも酔わないし」
マスターと蘭がお酒について話している間、私の意識は甲斐と過ごすクリスマスイブのことに移っていた。
甲斐の好きなお店にディナーの予約をするか、それともまだ甲斐が行ったことのない店を選ぶべきか。
そもそも、何を食べに行けばいいのかも迷ってしまう。
クリスマスなら、やっぱりフレンチやイタリアンが主流なのだろうか。
それかステーキもいい。
「あの、柊一朗さん。イブの日、どこかでディナーしようと思ってるんですけど、街中でお薦めの店ってあります?」
「お!依織ちゃんはイブに甲斐くんとデートか。お薦めの店なら結構あるよ。例えばすすきのなら……」
柊一朗さんが教えてくれたお薦めのお店を、忘れないようにスマホのメモ帳に保存した。「ありがとうございます。甲斐の希望もちゃんと聞いて、決めてみますね」
「依織ちゃん、気合い入ってるね!」
当然、気合いは入ってしまう。
いつからか、恋人の誕生日を祝う楽しさも、一緒にクリスマスを過ごす嬉しさも、忘れてしまっていた。
ちなみに昨年のクリスマスイブは、遥希が仕事で帰って来なかったため、もずくと家でまったり過ごしていた。
その前の年も、そうだったと思う。
どこのお店がいいか、プレゼントは何にしようか……甲斐の喜ぶ顔を想像しただけで、自然と笑みがこぼれてしまう。
「依織、またデレデレしてる。甲斐のこと思い出して笑うのやめてよ」
「べ、別にデレデレなんてしてないし!」
「自覚ないとか、ヤバ過ぎだからね」
蘭にはいろいろ冷たく言われてしまったけれど、柊一朗さんは嬉しい一言を私にくれた。
「でも依織ちゃん、甲斐くんと付き合い始めてから良い表情になったよね。俺は今の依織ちゃん、凄く良いと思うよ」
「……ありがとうございます」
過去の恋と今の恋を比べるつもりはないけれど、遥希と付き合っていた頃の自分より、今の自分の方が好きだと胸を張って言える。
それは全て、甲斐のおかげだ。
ありのままの私を、甲斐が好きになってくれたからだ。
それから三日後の夜、仕事の後に甲斐が私の家に泊まりに来た。
この日も二人で一緒にスーパーに買い物に行き、並んでキッチンに立ち料理を作った。
この日は雪が降り寒かったため、鍋焼きうどんを作って食卓を囲んだ。
「うどんのダシうま!椎茸も凄い味染みてるな」
「海老の天ぷらも美味しい!やっぱ冬は鍋焼きうどんだよね」
一緒に作ったうどんを絶賛し合いながら食べ進める中で、私はクリスマスイブの話題を甲斐に振った。
「ねぇ、そういえばイブのことなんだけど。甲斐の誕生日、お祝いしたいから夜どこか食べに行かない?」
私はスマホを取り出し、メモ帳に保存した柊一朗さんから教えてもらったお店のリストを甲斐に見せた。
「私あんまりお店詳しくないから、この間柊一朗さんに良いお店教えてもらったの」
「本当に良い店ばっかりだな。さすが柊さん」
甲斐はスマホの画面を眺めながら、ここ行きたかった店だと良いリアクションを見せてくれた。
「その中でもし甲斐の行きたいお店があったら、行ってみない?今から予約すれば間に合うと思うし」
「七瀬はどこでもいいの?」
「うん。誕生日なんだから甲斐の行きたい所にしようよ!」
甲斐はしばらく考え込んだ後、私にスマホを戻した。「じゃあ、俺の家でもいい?」
「え?甲斐の家?」
「うん。ダメ?」
「全然、ダメじゃないけど……」
まさか、家で過ごす誕生日をリクエストされるとは思っていなかった。
せっかく年に一度の誕生日なのだから、普段は行けないような店でディナーしたいなんて欲はないのだろうか。
それとも甲斐は優しいから、私にあまりお金を使わせないよう気を遣ってくれているのかもしれない。
「甲斐、そんな気遣わなくていいよ。確かに給料はそんな高くないけど、お祝いするくらいのお金はちゃんとあるから」
慌てて言葉を返すと、甲斐は楽しそうに笑った。
「何でそんな発想になるんだよ。別に七瀬の財布事情を心配して言ったわけじゃないって」
「だったらどうして?」
「んー……まぁ、家の方が落ち着くからかな。当日はデパートとかでいろいろ食事買って、家でパーティーでもするか。もずくも連れて来て」
「じゃあ、せめて料理くらいは私に作らせて!そんなにクオリティーの高いものは期待しないでほしいけど……リクエストがあれば何でも作るから」
「ん、わかった。楽しみにしてるよ」
普段、私が甲斐の家に行くことはほとんどない。
私の家にはもずくがいるため、甲斐が家に泊まりに来てくれることが多いのだ。それこそ付き合う前は何度か蘭や青柳と甲斐の家に訪れたことはあったけれど、付き合い始めてからはまだ二回ほどしか行っていない。
本当に家で過ごす誕生日でいいのだろうかと心配になったけれど、甲斐が本当に楽しみにしているのが伝わってきたため、イブは甲斐の家で過ごすことに決まった。
プレゼントは凄く迷ったけれど、スニーカーとマフラーを用意した。
スニーカーもマフラーも、甲斐が好きなブランドのものだ。
甲斐の靴のサイズは把握済みだし、服や小物の好みも長年友達だったからちゃんとわかっている。
仕事帰りにプレゼントを探し回る時間が、私にとっては楽しくて仕方なかった。
そして甲斐の喜ぶ顔を想像しながら店を渡り歩く中で、私は過去の自分のことを思い出していた。
今まで、こんな風に誰かのために何かをしてあげたいと心から感じたことがあっただろうか。
遥希と交際していた六年の間で、クリスマスや誕生日にプレゼントを選んで渡したことはもちろんある。
でもそれは、どこか義務的な気持ちが強かったような気がしていた。
誕生日だから、何か買ってあげないと。
クリスマスだから、プレゼントを用意しないと。
ただ純粋に喜ぶ顔が見たいから、なんて思ったことは、あっただろうか。