抱きしめても応えてくれなかった事も,相談しようとしてくれないのも,三津の決意の表れだったのかもしれない。
だがその決意には間違いなく裏があると入江は信じて疑わない。
「入江様,松子様は自力で前を向かれました。なのに入江様が松子様に依存していては苦しめるだけではありませんか?」
『違う,自力やない。そう促されてる。』
「そうじゃないだろう?私らの関係が普通じゃないと吹き込んで無理矢理どちらかと決別する道を取らせたんだな?
そうやって三津を貶めたんやろ。」
入江は冷たい目で女将を見つめた。https://classic-blog.udn.com/79ce0388/180559356 https://freelancer.anime-voice.com/Entry/74/ https://ypxo2dzizobm.blog.fc2.com/blog-entry-93.html
「酷い言い方……。何でそんなにあの人に執着するの?私の事は何一つ覚えてなかった癖に。」
入江はようやく本性を見せたかと息をついた。
「本当の事を話してあげたいけどこれから仕事です。また店を閉める頃にいらして下さい。」
女将は平然と言ってのけて暖簾を出して店内に引っ込んだ。思った以上に神経が図太いと思いながら店の戸を見つめた。
『私の事は何一つ覚えてなかった?私は彼女と面識がある?』
入江の記憶の中に彼女のはいない。謎が謎を呼ぶがまだ確かめられない。入江は一度屯所に戻った。
屯所に戻れば三津は隊士と談笑しながら掃除に励んでいた。いつも通りの姿にほっとした。
『何も話そうとせんのは女将が口止めしとるからやろか。あの女ならやりかねん。』
だから余計な事を言わないように自分を避けるのだと思った。そう思わないと心が苦しかった。
そして夕刻にまた和菓子屋まで出掛けた。
暖簾を下ろす彼女は入江の姿に気が付くと嬉しそうに微笑んだ。そしてどうぞと中に招き入れた。
「本当の事って何だ。」
「冷たいのね。あの時は優しかったのに。」
女将は不貞腐れた顔を作って長椅子に腰を下ろした。
「どういう事だ。」
「私ね,夫に逃げられたの。婿に入ってくれた夫に婿にはなりたくなかったってね。最初は私の為なら店も継ぐし婿でも構わないって一緒になったのに男の矜持ってヤツやろか。うちの婿さんって周りに言われるのが嫌やって他所に女作って逃げたそ。」
何の話か分からなかったが,三津が改心するきっかけになった話だと思い,入江は黙って耳を傾けた。
「主人に逃げられて,お店も上手くいかんくなって,しょっちゅう問題に巻き込まれて。老舗や言われてたのに,夫に逃げられた女主人が切り盛りする店やって馬鹿にされるようになって,私も両親もいい晒しもんよ。
あの日も……仕事相手の旅籠の主人と店先で揉めて,手を上げられた時やったわ。そこに貴方が現れたの。」入江は作り話ではないかと疑いながらも続きに耳を傾けた。どこかにその記憶が残ってないかと手掛かりを得ようとした。
「あの日は品物と請求額が合わんっていちゃもんつけられて,お前が体で詫びろって店から引きずり出されたとこやったんよ。そこに貴方が現れて,旅籠の主人を追い払ってくれたの。
私地面に這いつくばって貴方に頭下げたの。お礼をと言っても貴方はお大事にと言うだけで,せめて名前だけと縋ったら,“入江です”とだけ名乗ったの。
その時私も名乗ったわ。キヨですと。」
その時一緒に居た面々が“九一”と呼んでいたのを聞いて名前を知った。それから何度か町で見かけては想いを馳せていた。
阿弥陀寺に拠点を置いている奇兵隊の一員だと知った。でもいつの間にかこの町を離れていた。
芽生えた恋は呆気なく枯れた。
それでも思い出しては淡い気持ちを胸に毎日を過ごした。
それからしばらくして京で戦死したとの噂を耳にした。